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2007年07月11日

万葉集

「法のもとでの平等」ということがあるが、その前に日本では「歌のもとでの平等」ということがあった。
 誰であれ、すぐれた歌を詠めば、皆に認められ、称えられる素地が、日本文化の基底として、すでに飛鳥時代や奈良時代(おおむね西暦600〜800年)には確立されていた。

 そんな文化風土の中より生まれてきた歌(和歌)4516首(数え方より4540首)を集めたアンソロジー(詞華集)として編まれたものが「万葉集」である。
勅撰の「古今和歌集」が出る前の、いわば私家集といった歌集であったが、編まれるべくして編まれたのもであった。

 以来1200年を越えて日本文化のバック・ボーンとして「万葉集」は機能してきた。いまだ片仮名・平仮名はなく、漢字の意味ではなく、単に音を借りるだけの万葉仮名により、日本語の歌は記録されていった。

 万葉仮名の例としては、思鶴鴨(思ひつるかも)と表示されたときの鶴鴨(つるかも)が万葉仮名であり、思は漢字本来の意味として使われ、しかも読みは訓読みとなっている。

 そんな表記上の苦労、また逆に読解上の苦労もある万葉集であるが、その歌そのものは新古今(鎌倉時代)の歌のように、それが悪いというのでは決してないが、《歌のための歌》となっていないところがあり、それが大きな特徴となっている。

 つまり意味があって、詠まれる必要があって詠まれた歌が殆どで、しかも歴史的背景を背負ったものとなっている。


 初期万葉の代表的な女流歌人である額田王(ぬかたのおおきみ)の歌は実質12首であるが、すべて歴史的裏打ちのある歌、歴史を背に負うている歌といって差し支えない。《熟田津に船乗りせむと・・・》の一首は勿論、《いにしへに恋ふらむ鳥はほととぎす・・・》の一首も、吉野でのいわゆる六皇子盟約という歴史的事象を背景に生まれた歌といえよう。


 額田王の歌を手初めに、万葉中期の代表的歌人である柿本人麿(かきのもとひとまろ)、万葉後期の代表的歌人で万葉集編集の中心的存在の大伴家持(おおとものやかもち)の歌へと繋いでいこうとするのもであるが、その流れの中で、人麿のライバル山上憶良(やまのうえのおくら)、人麻の親友たる高市黒人(たけちのくろひと)、流刑とされた人麿の後半生と目され、従って人麿と同一人物とみられる山部赤人(やまべのあかひと)などの歌、また当然ながら背景となる歴代天皇朝にも触れていきたい。



注:柿本人麿の記載方法ですが、通称「人麻呂」と「人麿」が使われています。このホームページ・メルマガにおいては、「柿本人麿」で、統一していきますが、「人麻呂」を使用されている方が多いので、場合によっては、「人麻呂」を使用していますので、ご了承ください。
タグ:万葉集
posted by nippon at 02:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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